ツール・ド・おきなわ2009 市民レース200km

2009年11月8日のレースのことを思い出しながら書いてみた。
ちなみに順位は207位(完走277名/出走359名中)。

スタート

今年はアップは特にせず、早めに召集地点へ向かった。ゼッケン順という案内も出ていたようだけれど、大方の予想どおり集まった順でスタート地点へ移動となった。
おおむね100人目あたりでスタートしたけど序盤で上手く前のほうへ潜り込んだところで、モリモリ君がアタックしたところへ慈朗さんともう一人が反応したので便乗して前へ出てみた。ポンズでいきなり前へ出るというのはなかなか面白かった。
追い風基調なこともあって面白いぐらい速度が上がるので今帰仁のスプリントポイントも狙ってみようかともう一回出たら、さすがにこれはNFCCのアドリエンのチェックが入ってしまった*1。平地のレース運びが上手いのはやっぱりオーベスト勢か。
集団の前のほうは無駄足を使う選手もいないのでいたって平和で、大宜味の手前あたりでは56km/hで巡航でこれは相当速いペースだなあ、と思っていたら、国頭の道の駅で、市民130kmがタイミングを逃しまだスタートしていなかった。
こうなると完走はほぼ確実になるので(関門の時間が若干延びるので)、当初の目的は達成したも同然。あとはどこまでレースが出来るか、と気持ちを切りかえることにした。
普久川ダムへの分岐が近づくにつれて抜きやすい集団右側は若干殺気立ってきたけど左側にいたので問題なく勝負どころへ。

魔のカーブ

普久川(ふんがわ)ダム手前のKOMポイントまでの登り区間は70番ぐらいでクリアできた模様。ダムを過ぎた先から奥までの下り区間で先頭集団に復帰しようと試みようとダムへ向かっている途中で、落車発生率の高いコーナーの手前で減速したところを後続の選手に抜かれた。
でも絶対に曲がれないライン取りをしている。
「だめだ、深すぎる!」
と思ったら見事に目の前で落車されてしまった。カラー舗装区間なので滑っていかなかったので自分のラインを完全に塞がれる形に。なんとか減速してその選手の自転車に乗り上げうつぶせに落車した。
右の手のひらを滑らせながら落ちたので、胸を打って、右手の人差し指と膝を擦りむく程度で済んだ。
「痛みは美しい」という記事*2のことが頭の片隅あったからか、すぐに立ち上がり、自転車をチェックして下りの勢いを借りて走り出した。
普久川関門の補給所で水をもらい、走りながら傷を洗って周辺にいた選手といっしょに進んでいった。見渡す限り、実業団ER100位前後程度の脚が揃った選手が中心で意思統一の図られた30人程度の集団が出来上がった。
奥の集落で地元の方々の熱い声援を受け(一期一会を感じる瞬間で、このことは後日詳しく書きます)、辺戸岬までの通称「奥の登り」へ入った。
途中で一度FDの具合が悪く遅れるが、なんとか挽回。

レース中断

辺戸岬でコミッセールから、
「この先で止まるから!」
と一瞬、理解に苦しむことを言われた。
どうやら市民200kmの前半の進みが速かった影響で、トップが国際200kmに追いついてしまったようだ。さらに女子国際レースがスタートできない状況になった為、宜名真トンネルの先で完全にストップ。以前に市民80kmの召集地点だった宜名真漁港へ全選手を入れてコースクリアが行われた。
「仕切りなおし?」
と一瞬嬉しくも思ったけど、自分たちよりも後続の「ついていって200km完走」を狙っている選手と混ざってしまい、それもぬか喜びに。ここまで身体を酷使したことが全て無駄だったような気になってしまった。
ロードレースのルール上では事故による中断はコミッセールの裁量に任される場面なのでとにかく再スタートを待った(運営側の管理のせいにしている人がいたけど、それは間違い)。30分ほど待たされ、逃げていた選手を先に再スタートさせて、時間差をつけて走り出すことになった。
ここからはきょうは向かい風区間になるけど、46km/h程度で進んでいるので、どさくさに紛れて先頭集団にもぐりこんだ脚のない選手が中切れを多発させていた。
なんとか先頭集団が見えるあたりで再び普久川までの登りへ。

ゴールまで

ダムの登りでじりじりとペースダウンしてしまった。原因は、補給のタイミングと量だと思う。
どうやっても追うのは難しいけど、同時に制限時間は割りそうにないのでなんとか登り続けた。投げてしまいたいぐらいだったけれど、だいいち、ここで降りたら応援してくれている人たちに対しても失礼だ。
高江までの丘陵区間をなるべく130kmの集団と混走しないように走るけど、どこかで追いついてしまう。
しばらくすると130kmに参加していた松下さんが率いる集団がきて、松下さんに声をかけていただいたのでなんとか飛び乗る。東村の平良まで、下り区間は60km/hとよいペースで走れた。
あとは最後の難関、慶佐次・源河の三段坂だけ。ここでこの集団は崩壊したので、あとは自分のペースで走った。
名護の市街地に近づくほど、交通規制の規模の大きさが目に入る。本当にありがたいこと。
残りの距離を示す標識をカウントダウンしながら、最後は単独でゴールした。右手の人差し指を高く上げたのは指先の傷口をアピールするため。
ゴールして挨拶もそこそこに消毒だけしてもらおうと医務室へ行ったら、同じように膝を擦りむいた白石君(シマノドリンキング)が来て元気よく「イエー!」とか挨拶された。


今年は夏の段階では130kmにしようかと思っていたのだけれど、結果的には200kmでよかったし、もしも来年エントリーができるようならもっと高いところを目指せるな、と思った。

*1:訂正。すでに二名が逃げており、アドリエンはその二名を追うために出たのでした。僕のアタックでは全然意味がなかった。

*2:http://www.cyclowired.jp/?q=node/21378