21年目のスタートライン

気が付けばロードレーサー歴も21年目に突入していました。
ちょっとだけそのあたりを意識して、20年前と同じ練習場所に帰ってこれたことに感謝しつつここ最近の練習では原点回帰してみようと思いました。
まずは物見山周回。
最初は東武東上線の車窓から見えた大東文化坂が気になって走りに行ってみたことから始まります。直登している坂を登りきった、岩殿駐車場の向かいのトイレがある場所は今と同じように多くのサイクリストが休憩がてら立ち寄る場所でした。そこに何度か通っているうちにラバネロの方々がここをよく周回されている話を聞き、少しでも速くなりたくてときどき走りに行くようになりました。
ちなみに20年前はゴルフ場を作り始める前で、周回コースは今よりももう少し細い道を登ってちょうど岩殿の日の出屋のところに出てくるコースでした。
そして白石峠に何度か通ったのもそんな感じです。
すぐそばの定峰峠に大学のサイクリング同好会の新歓ランで連れていってもらって以来、練習と称して講義の合間に走りに行っていたのですが、ある日地図上で同じ程度の距離で行ける峠をみつけて登ってみたくなりました。きちんと下調べもせず平均して8%近くある斜度に負けそうになりましたが、ふらふらになりながらも登りきってすっかり満足してそのまま定峰峠を下って帰ってきました。当時乗っていた自転車のチェーンリングは52T×42Tで、スプロケットもロー側は23Tでした(今考えるとよくそんなギア比で登っていたと思います)。
若気の至りの妙な確信じみたものがあったのか、それからは登りの練習にはここを走りきれないとダメな気がして幾度となく走りに行くようになりました。
そんな練習を繰り返す中、そろそろレースを走ってみたくなり、当時いくつかあったレースの中でチャレンジロードにまさに「挑戦」したくなりました。
初めて出場した20年前のチャレンジロード。今ではJCRCの脚力別カテゴリーがレースを始める上でスタンダードになりつつありますが、当時はどこへ行ってもだいたいのカテゴリーは年齢別でした。もちろん当時のオリベッティツール・ド・ジャパンにはビギナークラスがあり、そうしたカテゴリーで走ることも可能でしたが、当時大学の先輩だった池上さん*1に「ビギナーなんか出ないほうがいいよ」と助言を頂き、年代別の一般クラスでまずは始めてみることにしました。
集団から少し遅れましたが13位で完走したときに感じた嬉しさは今でも忘れがたいものです。
日本CSCの5kmサーキットのコースが好きだというと、怪訝な顔をされかねないですが、そうした思い出の上に成り立っているんだと思います。
今回、同じこのレースで今度は登録者の部で、年齢では僕よりもはるかに上でいまだ現役で活躍されている方々に揉まれながら21年目のスタートを切れたことがとにかく嬉しいのです。
これであと10年は乗り続けられそうだと思うし、何かと困難は感じるけれど乗り続けていくつもりです。

*1:*カネコイングスに在籍されてました。